少年少女の裏事情。
A boy girl's back situation.










 
 「おう、遅かったじゃねーかよ」
 「どっ…」
 部屋に入るや否や、現代の少女である日暮かごめは全身を硬直させて絶句した。……テスト前日の午後、のんきに彼女の自室でくつろいでいる、犬耳の少年の姿に向かって。
 「どーしてあんたがここにいるのよっ!」
 あれほど来るなと云ったのにとかごめが恨みがましく睨みつけてやると、犬夜叉はひどく決まり悪げに悪いかよ、と一つ問う。すると途端に、彼女が悲鳴にも似た金切り声で彼に詰め寄った。
 「悪いわよ!!あんたがうちにいて、勉強がはかどった事なんてないんだから!」
 「じゃ、邪魔なんてしてねーだろ」
 ――そっぽを向きながらの犬夜叉の言い訳にかごめはいかにも意外そうに目を見開き、次いで半眼になる。
 「って、してないつもりなの?」
 「……え”」
 自覚がないのかと遠まわしに訊かれ、少年の頬を滑り落ちる一筋の汗。その様子に、少女はどこか困ったようにあのねえ、と溜め息をついた。
 「あんたは大人しくしてるつもりみたいだけどね。あれだけ下で騒がれたら集中できっこないわ」
 「お前の部屋にいるときは静かにしてるじゃねーか」
 判っているのかいないのか――犬夜叉の答はどこか的を射ないが、それでも事実には変わりない。大真面目の体【てい】であるらしい彼にどう云えば良いものかと考えあぐねながら、かごめは躊躇【ためら】いがちに言葉を足す。
 「そりゃ、そうだけど…後ろから黙って見られてるっていうのも、結構気が散るもんなの」
 「じゃあ、俺にどーしろっつーんだ!」
 彼女は自分を帰らせたいのだという事にようやっと気付いたか、犬夜叉は苛立たしげに言い募る。その一言に、ついさっきまで後手後手に回っていたかごめはひく、とこめかみを引きつらせた。大きく息を吸い込んで――。
 「――だから来ないでって頼んでるんじゃない!おすわりっ!!」
 「ん”ぎゃっ!」
 間の抜けた奇声とともに彼が潰れるように倒れこむ。直後に起き上がった隙だらけの身体を、かごめは壁際まで押しやって弾くように窓を開ける。そしてそのままの勢いで犬夜叉を外へ押し出すが――不安定な体勢から彼は器用に足から着地した。 
 「何すんだ、てめー!!」
 じろり、と頭上を睥睨【へいげい】しつつ犬夜叉が声を荒げると、かごめはうっと詰まったような顔をした。悪いという意識は少なからずあるらしいが、それでも彼女は譲らない。しどろもどろになりながらも、必死に言い返す。
 「あっ、あんたが判らず屋だからでしょっ」
 「だからって突き落とすこたねーだろ!」
 怒りまじりに切りかえすと、犬夜叉は軽く腰をたわめた。それを目にしたかごめは彼の行動の意図する処に思い当たり――おそらくまた飛び込んでこようというのだろう――慌ててこの諍【いさか】いにけりを付ける。
 「とにかく!明日にはちゃんと帰るから、それまで絶対邪魔しないでよね!」
 焦った様子の声は、そう言いのこして窓を締め切る。ついでにカーテンの裾がぴっちりと硝子の板を覆った。 


 








 一、少女の事情



 
 犬夜叉を締め出した窓にきちんと鍵がかかっているの確かめ、かごめはベッドの上に身を投げ出した。そのままころりと寝返りを打ち、天井を見上げて大の字になる。
 「あーもう、やっと静かになった。これで勉強できるわ」
 誰に聞かせるでもなく、どこか気だるげに呟かれた台詞。その言葉とは裏腹に、ううんと伸びをする少女の表情は少し沈んでいる。
 (ごめんね、犬夜叉)
 あえて口には出さずに詫びて、かごめはゆっくりした動作で起き上がる。その拍子に、柔らかな掛け布の端がくしゃりと歪んだ。
 「あたしってやっぱり……我が儘、なのかなあ」
 同じ家の中で騒がれると集中できない、見られていると気が散る――確かにその通りだ。けれど、戦国時代ではもっと過酷な状況下でもどうにかやっているのだから、それは言い訳にしかならない。たとえ、安全で住み慣れた我が家にいるということで、多少なりとも気が緩んでいることを差し引いたとしても。
 学業のために戻ってきている時、彼に傍に居られたくないのはそういう理由からではない。言うなれば、もっと別の――。
 (ただ、あたしが我慢できないだけなんだもの)
 階下で自分の家族と賑やかにしていると、無性に気になって覗きにいきたくなる。普段は落ち着きのない犬夜叉が、この時ばかりはじっと座り込んで自分の背姿に目をやっていると思うと、横に並んで話がしたくなる。
 (全く、情けないったら)
 要するに、何かにつけて構いたくなってしまうのだ。だから、来てほしくはなくて――勉強どころでは、なくなってしまうから。
 けれど、すんなりとこちらの頼みを受け入れて欲しいと思う反面、来ないのは寂しい。彼が押しかけてきているとわかった瞬間には、大抵ほのかな喜びを抱いてしまう。矛盾にも程があるが、こういう時に実感する――自分がどれだけ犬夜叉を好きなのか、どれだけ依存しているのか。
 (でも、それじゃ駄目。判ってるの)
 何があっても二つの時代を渡り歩いてゆくと、旅を始めたときに決めた。それはすなわち、絶対にこちらでの義務を見限らないということ。ひどく困難ではあったが、最低限のかごめの意地だ。
 (だから、やっぱり譲れない)
 本心からそう思う。だからわざわざ手荒い真似までして――と。
 「いっけない、こんな事してる場合じゃなかった。今日は徹夜で勉強しなきゃ!」
 (そうじゃないと、犬夜叉にも悪いもんね)
 せっかく来てくれたのを、無碍な扱いで追い払ってしまったのだ。せめて有効に時間を使わないと、彼に申し開きすら出来ない。よし、と手を打ち鳴らし、かごめは一心に机へと向かう――。










 二、少年の事情




 かごめの姿が完全に視界から消えうせてしまうと、犬夜叉は足裏【あうら】に力を込めて跳躍した。長い髪とたっぷり袖を揺らして降り立ったのは、少女の部屋より更に高い屋根の上。そのまま、どかりとあぐらをかいて座り込む。
 「全く、人の気も知らねえで」
 すぐ近くから感じる、かごめの気配。それに気取られることのないよう、口の中に飲み込むようにごちる。
 (こっちは心配してんだってのに)
 いくら試験に臨むにあたっての準備が不十分とはいえ、休息もある程度は取らねばなるまい。しかしかごめはそれを完全に無視し、あろうことか総ての時間を勉強に充てようとするのだ。それこそ、一睡もしないつもりで。
 だがしかし、毎回気づかないうちに机の上に突っ伏して眠り込んでしまう。そのまま朝まで目を覚まさないこともしばしばで、はっきり云って身体に障る。
 (でも、俺がほどほどにしとけっつったところで、聞き入れやしねえしな)
 ゆえに、犬夜叉は全く別の手段に出ることにした。……すなわち、かごめが寝てしまったところで、彼女の身体を寝床に横たえてやる、という。
 だがしかし、今回の状況では――追い出された挙句、鍵まで掛けられてしまったようだから――そういうわけにもいかない。大人しく静観しているしかなさそうだ。
 「……ったく。黙ってるから仕方ないにしろ、人をないがしろにしやがって」 
 こきこき、と首を回して大仰に腕を組む。確かに自分ですきこのんでやっている事だけれど――誰のおかげで体調を崩さずに済んでいると思っているのかと云ってやりたくなる時もあるのだ。
 (だからって知られるわけにゃ、いかねーけどよ)
 ……報酬と云わんばかりに、無防備な寝顔で抵抗一つしない彼女に手を出しているのは紛れもない事実なのだから。 






 ところで、もしこれが露見すればこんな遣り取りが交わされることだろう。
 ――今はまだ、仮定でしかないけれど。




 「で、あんた今までにあたしに何してたの?」
 「べ、別にいーだろ」
 「な・に・し・て・た・の」
 「……髪、撫でたりとか」
 「ふうん」
 「……匂い、嗅いだりとか」
 「後は?」
 「……抱きしめたり、とか」
 「それで全部ね?」
 「……く」
 「く?」
 「……口付けたり、とか」
 「え、ちょ、やだ――どこによ?」 
 「……ここにだな」
 「――どーいう神経してんの」
 「何とでも云え」