――人を、殺した。
べったりと血にまみれた、己の爪。あたりに転がる、無残に引き裂かれた肉塊。
むせかえるようなその臭いが、いつまでも鼻を衝く。どうしようもなく、心が波立つ。
「犬夜叉… わかってるから…」
背中から回された繊手に、そっと触れる。その手があまりに清浄なものだから、ひどく居た堪れないような気がした。
「あたし、犬夜叉の手、好きよ」
小さく呟いて、かごめは無造作に犬夜叉の手をとった。絶句しているのにも構わず、ゆっくりと手の平をなぞりはじめる。
するすると淀みなく、指の腹が手首からつま先へと滑ってゆく。ひたすらに温かく、柔らかい感触。その心地よさが、却って落ち着かなかった。
「…やめろ」
乱暴に言い捨てて、犬夜叉はかごめの手を振り払った。
生き残るために、相手を引き裂く。それはある意味当然のことで、今更躊躇うつもりもない。けれど殺したいと思って首を刎ね、腹を抉るのは、きっと間違っている。それが、自分の意志でやったのではなかったにせよ。
これだけは、忘れたくとも忘れるわけにはいかない。この手は忌まわしい、厭うべき罪の手だ。
「じゃあ…あたしの手、どう思う?」
かごめがその手を目の前にかざして問うと、犬夜叉はしばし言いよどむ。
「どう、って――」
かごめの手は、恐ろしいくらい華奢にできている。すんなりと延びる指はその節まできゅっと細く、紅を一刷けしたような爪は粒が揃っていて座りがいい。肌も薄く、手の甲をはしる血管が青く透けて見えるほどだ。清廉で、儚さすら伴っている。
単純に表現すれば、とても好ましい。…口に出せるかと言えば、それはまた別の話になるが。
「好き?…ううん、嫌い?」
思考を完全に読まれていた。犬夜叉の性格では、正直なところ始めの訊き方では素直に頷けない。そこのところを、かごめはおそらく他の誰よりもよく解っている。
「――嫌いじゃない」
「ほんとに?」
しぶしぶながらも応えると、かごめの口調が僅かに変わった。表情はあくまで柔らかいままなのだが、どことなく決然とした印象を受ける。
「でも、あたしは嫌いよ。だいっきらい」
「…どうして」
「だってあたしは、珊瑚ちゃんみたいに強くもないし、お料理だって上手じゃないし、他の事だって」
「そんなこと――」
「いいから聞いて」
ない、と否定しようとした声は、かごめの有無を言わせぬ制止――自嘲味を帯びていながら、それは確かに凛として響き渡るのだ――に押し留められた。かすかに口許をひきしめて、両の手で静かに犬夜叉の手を包み込む。
「これは、役立たずの手なのよ。それでもあんた、嫌いじゃないの?」
ひたりと据えられた黒檀の瞳に、息が詰まった。
この手を嫌いではない理由は、犬夜叉がかごめそのものに対してもそう思っているからに他ならない。彼女がどう思っていようと、それは一切関係ないのだ。ということはつまり――。
「綺麗な手ね」
囁くようにそう云って、掌に指を這わせる。今度は振り払うどころか、微動だにもできない。
「…莫迦云え」
そうごちるだけで、精一杯だ。