流るる、夏空の下で。
nagaruru natuzora no sita de.







草木は知らぬ内青々と茂り、夏仔は我先にと成長を遂げる。
命と言う名の限りを持つ者達の生き急ぐ夏は、今――。









一点の汚れも無く広がった天球に、ある筈のない弾力を感じる分厚い入道雲が幾つか鎮座している。ただ其れだけでも充分、気分の良くなる景色だが、そこにもう一つ、勢い良く光りを降らせる熱源が揃うと、つきぬける程清爽だ。
韻律【リズム】を作って空気は流れ動くけれど、外気は熱い。其れに気付かないでいると、存在を誇示する為に夏虫が懸命に声をはりあげるのを聞く羽目になり、結果、軽い目眩を覚えるだろう。…其れは決して不快なものでは無いのだが。
時は水無月、処は戦国、山の中。
旅を続ける一行は、一日で最も暑くなるだろう刻限、偶然に、そして幸運にも清流にたどり着いた。ここ数日はむし暑い日が続いていた為、いつからしじゅう体力の有り余って居る半妖以外の皆は渡りに舟、とばかりに暫しの休息に身を委ねる。
そして、もう少し休んだら出発しようかという頃、不意に珊瑚が姿を消した。妖気邪気の類は一切感じられないが念の為、そう言って弥勒も川辺を離れ――、もうかなりの時間が経つ。
待ちくたびれた七宝は、この近辺に居る、という条件付きで雲母を従えて、小さな冒険の旅へ。
残っているのは犬夜叉とかごめ、二人だけである。仲間の帰りを待ち詫びる彼らは、さて…。
 





 「ひんやりしてて、気持ちいいっ!」
 賑やかだが不思議に姦しくは感じない山中に、これまた甲高いが耳障りではない若い娘の声が吸い込まれた。
 太陽光の成せる業だろうか、いつもより明るい若草と同じ色調、そして純白を纏った彼女…かごめはただ、川の流れの中に居る。水かさは、少女の膝小僧に僅かに足りない辺りだろうか。
 ぱしゃん、ぱしゃんとかごめが水を蹴る。其の度に飛沫が虹色の南京玉【ビーズ】に変化し、空気の泡は瑠璃に見えた。
 いずれも、瞬時に消えて仕舞う代物ばかり。だから、と、けれど、どちらが正しいのかは神のみぞ知るだが、涼しげな其の音も水面の煌めきも、玲瓏と以外言い様が無かった。
 ふと、足元を別の輝きが過ぎる。魚の鱗だ。ぬらりとした感触を持つ、普段は気味悪い筈の其れ。同一だとはとつも思えない。
 「綺麗…。」
 意識せず呟くより早く、水の生き物はかごめの傍を離れた。自然に頬が緩んで、笑みを形取る。
 (いいもの見ちゃった)
 機嫌を良くしたかごめは試しに、直ぐ近くの木陰でそっぽを向く、不機嫌極まりない顔の犬夜叉に呼び掛けてみた。鮮やかな緑と赤が目に痛い。
 「ねー犬夜叉、あんたも来ない?すっごく気持ちいいよ。」
 遠目にもはっきり判る程、犬夜叉の耳が撥ねた。ちらと一瞥をくれただけで眩しいのか、先程の仏頂面の上に眉根まで寄せて一言返す。
 「…いい」
 「そう?なんか勿体無いな。」
 (まったく、子供なんだから)
 問うた時そのままの笑顔で答えて、かごめは心で溜め息を吐いた。同時にちくりと痛んだが、極力無視する。原因は知れていた。彼の態度も、自分の痛みも。
 どういう仕組みかは知らないが、井戸を挟んだ二つの時代の時の流れは、寸分の狂いも無く同じ。
 太陰暦の戦国が真夏の水無月なら当然、太陽暦である現代は盛夏の八月、夏休みとなる。
 だが休みの間、戦国へ行きっきりになるつもりだったかごめの意思に反し、彼女の中学では、泊まり込んでの勉強合宿なるものが催されるのだとか。担任からこの話を聞かされた時こそ当惑したものの、紆余曲折の末、基本的には全員参加である事、何より急降下している自身の成績に後押しされ、かごめは出欠表に丸を書いて提出した。
 其の事を恐る恐る報告し、一名を除いた仲間の承諾を得て、暫くは旅をして…、明後日が出発の日である。
 故に遅くとも明日までには、井戸のある楓の村への道行きを済ませなければならないのだが、かごめが不在になる数日、正確には七日という期間はやはり長い。彼女が打ち明けた時、犬夜叉は勿論の事、仲間達でさえ顔を曇らせた位だから、彼がここまで憤慨するのも至極当然かもしれなかった。 今回ばかりは、犬夜叉を責められる立場ではない。
 (成績も気になるし、そんなに嫌じゃないんだけど、やっぱりちょっと)
 常日頃から、事あるごとに武蔵の国へと逆戻りさせるにも関わらず、文句の一つも付けない彼らにこれ以上迷惑をかけるのは忍びなく、また、それとは種を異にした感情がかごめにない訳でも無かった。
 (犬夜叉と離れてるのって寂しいし)
 彼の事をゆっくり考える時間は恐らくないだろうが、ふとした時に思い出して仕舞うに違いない。
 (そういえば)
 以前からずっと、気になっている事がある。
 ――何故犬夜叉はこれ程までに、現代への一時帰郷を嫌うのか。
 犬夜叉とて馬鹿ではないから、最近はおぼろげながらもかごめの置かれている現代での状況、そういったものを理解しているにも関わらず、彼の態度は変わらない…どころかむしろ、酷くすらなっている様に思えた。
 (旅が遅れるって、そればっかり言うけど)
 日射しがきつい。足ばかりを水色に埋めてぼんやりつっ立っていると、くんにゃりと歪んだ世界が見えた。
 (やばっ…)
 両の手を清水に浸してから、手廂【てひざし】をして川岸へ歩み寄る。川中へ降りる時、適当に放り投げたのがまずかったのだろう、持参した足拭きは一際大きい岩の出っ張りに引っ掛かって居た。
 「よっ、と」
 足は水浸し、足場は苔むした石、多少心もとないが届かない距離でもない。かごめは地面より二、三段高い積み石によじ登って凸面に手を伸ばし――同時に考えた。
 (犬夜叉は、あたしがいなくても寂しいとか思わないのかな)  この状況で物思いにふければ、当然足元への注意は散漫になる。とそこへ、青嵐【せいらん】と呼ぶに相応しい突風が吹き抜け、不安定なかごめの細身の躰を空へ押し出した。
 「ひゃっ…」
 後に続いたのは、驚愕の余りに僅かにしか漏れなかった少女の叫び、そして水が盛大なしぶきをあげる音ばかり。







 燦燦【さんさん】と耀う太陽が、また光量を増したようだ。日光の活力を享受しようと、目一杯伸び上がった青葉が処狭しと密集する木叢【こむら】を潜り抜けて、土の表面にちらちらと落ちる。其れはまるで、張り巡らされた蜘蛛の糸にも似て。
 それと木漏れ日のかかる亜麻色の空蝉を見比べ、捕らわれたら二度と抜け出せない、何処か子供じみた気分を胸に、犬夜叉は軽く、空を仰いだ。
 熱き針が目を刺して、険しい顔になる。
 忌忌しげに細められた双眸。弓型の瞳孔は琥珀石に紛れ込んだ棘のようであった。
 次々に浮いた汗が或は流れ、或は留まるが、彼は其等を拭うどころか、身動【みじろ】ぎ一つしない。薄暗い日陰の中で、金茶の眼ばかりが鈍く輝いた。
 おおよそ明澄とは言い難い空気を裂く様に、横合いからかごめの、はきはきした声が流れて来た。
 何を言って居るのか殆ど聞き取れなかったが、恐らくは自分も来いと誘っているのだろう――そう判断して、適当に受け流す。
 彼女はまた何か言っていたが、其れはもう犬夜叉の意識の外の事でしか無かった。
 「冗談じゃねえや」
 (何をこんなに苛付いてんだ?)
 ぽつりと呟いて、自問する。もし周りで彼の仲間が聞き耳を立てていたなら、こう即答するだろう。――かごめが帰って仕舞うから。
 違うとは言わない。けれど其れは、彼女の不在に対する感情を自覚するより前でも同じ事で、答にはなっていなかった。
 ならば何故、思いを巡らす内、犬夜叉の脳裏にある問いが浮かぶ。
 詳しい事は皆忘れて仕舞ったが、そう尋ねたのは確か七宝で、やはりかごめが井戸の向こうに消えた時だった。
 子供とは時に残酷なもので、知らぬうち、人の踏み込んではならぬ領域に容赦無しに切り込んでくる。此れは正にそうだ。揶揄の無い、真剣な幼子の問いかけは否応無しに引っ掛かる。 
 子供の自分でさえ、寂しくても我慢出来るのに、どうしてお前は出来ないのかと、七宝は尋いた。当時の記憶は曖昧だが、多分彼を殴るかどうかして、結局問いには答えなかったのだろう。
 …ならば。
 (かごめの居ない寂しさに、俺は耐えられないのか?)
 再度、問う。答は否、だ。
 (耐えられねえ訳じゃねえ。でも)
 かごめを一刻でも早く連れ戻そうと井戸を潜る度、犬夜叉は彼女の住む世界や、背負うものに触れ、今では多少理解出来るようになった。だからこそ、かごめが居なくても、我慢しようと思えば出来ない事も無い。けれど、そういう事ではないのだ。
 (ただ、不安なんだ)
 かごめが二度と戻ってこなかったら、と。
 冷静に考えれば、そんな事はまず有り得ないのだが、理屈ではない。理屈ではないから、抑えが効かない。
 (俺がいつも、どんな気持ちでお前を送り出してるかなんて、考えた事も無えだろう?)
 どう見ても八つ当りの様な事を思って、自嘲する――が、其れはすぐに中断された。押し殺した様なかごめの声と大きな水音に。







 「かごめ!!」
 犬夜叉が血相を変えて岸辺の岩へと跳躍する。が、何とも表現し難い顔をして川底に尻餅を付き、頭のてっぺんまでずぶ濡れのかごめをその眼に認め、ほう、と安堵の声を上げた。
 ついさっきまで岩のでっぱりでひらひら揺れて居た布切れが、彼女の間近でたゆたうのが見てとれる。
 (そういう事か)
 「何やってんだよ、お前」
 「だって」
 かごめにしては珍しくもごもごと口ごもり 、ばつの悪そうな顔をした。その殊勝な様子に、腰に手をあてた格好の犬夜叉が言い募る。
 「ったく、どんくせえな」
 流石に今の物言いにはかちんときたらしく、かごめは眉を跳ねさせた。威勢良い声が響く。
 「おすわり!!」
 「ぐえ…」
 こぼこぼ言う水音に悲鳴は掻き消される。それが暫く続いた後、水浸しの犬夜叉ががば、と起き上がった。
 「てめ、何考えてんだ!!」
 途端に座り込んでいたかごめがばねよろしく立ち上がり、犬夜叉に水を浴びせかけながらまくしたてる。余りの剣幕に、犬夜叉はぼんやり突っ立つしかない。
 「それはこっちの科白よ!そりゃ、あたしの所為で旅が遅れちゃうんだから、申し訳ないとは思ってるわ。でもね、あたしだって帰る回数を減らそうと努力してんだから!なのにあんたときたら、怒ったり不機嫌そうな顔したり…あたしの気持ちなんかお構いなしじゃない!!」
 ぽかん、と口を開けた、何とも間抜けな表情をしていた犬夜叉が漸く我に帰った。感心する程気の短い彼は、一方的な言い分と浴びせられる水に少しの我慢もならず、むきになって応戦する。
 「黙って聞いてりゃ好き放題ぬかしやがって…。お前こそ俺の気持ち、これっぽっちも解ってねえじゃねえか!!」
 まるで子供の喧嘩だが、残念ながら当人達にその自覚は無い。後に続くやりとりは白熱し、徐々に論点がずれていく。
 「何でそうなるのよ、この馬鹿!!」
 「んだとお!?てめえの都合で国に帰るんだろうが!それに付き合ってやってんだ、馬鹿呼ばわりされる言われは無えよ!!」
 「あんな嫌々顔しといて、よく言うわ。あたしにだって、現代での生活ってもんがあるんだからね!!」
 「俺だって色々あるんだ、てめえの我が侭をいちいち聞いてやる程暇じゃねえんだ!!」
 「何よっ、あたしの事なんて何にも解ってないくせに!!」
 「お前だって、俺の事何一つも解ってねえじゃねえか!!」  
間断なく手も口も動いていれば無理ないが、双方の息が切れた。激しい呼吸を整えると、気持ちも静まってくる。
 話は逸れるが犬夜叉は基本的に、人と会話をするのが不得手だ。彼の場合、それは元来のものではなく、その特殊な出生ゆえの性質であろうと推察できるのでいわゆる口下手とは些か毛色が異なるのだが、ここまで多弁であったのは、やはりここの処の鬱憤――不安だか何だかの負の感情――が溜まりに溜っていたからだろう。言いたいだけ言った犬夜叉は妙にすっきりした、毒気の抜けたが如き顔をしていた。しかし其れは、かごめも同様で。
 ふう、と一つ深呼吸して、かごめが言った。
 「そっか」
 「――んだよ」
 「犬夜叉はあたしの事、何にもわかってないんだね」
 「え…」
 「それであたしは犬夜叉の事、何にもわかってない」
 「…ああ」
 「でもさ、それでいいんじゃない?」
 どんなに言葉を尽くしても、相手を丸ごと理解する事など、元々出来はしないのだ。
 それならそれでいい。少なくとも、一緒に居たいと思う心は同じだから。
 つまりそうやって、互いに信じられるなら。
 「ね」
 かく、とごく当たり前の様にかごめの膝が折れて、彼女は躊躇の一つもせずに涼しい流れの中に腰から下をさし入れた。
 「おい、何やって…」
 「いいじゃない。」
 余りに突拍子の無い行動に、犬夜叉が慌てた様子を見せて近付くが、かごめはやんわりと微笑んだ。己の動きを制すその表情から、立ち上がる気配は欠片も感じられず、犬夜叉は諦めの吐息をつく。そうやって何の気無しに彼女を観察したついでで、声をかけた。
 「髪、食ってんぞ」
 「え」
 「ほらよ」
 全くしょうがねえな、そんな顔で無造作に片膝をついた犬夜叉がぞんざいな手付きで、かごめの口に滑り込んだ黒髪を抜き出す。少年の指先きと少女の頬が微かに触れた。
 見上げた視線と見下ろす視線がぶつかって、暫し二人は見つめ合う。
 ――若草の奏でるざわめきと、流れを紡ぐしゃらしゃらと言う音に包まれた空間から、あれ程五月蝿く感じた蝉の合唱が、遠くなる。







 ぴと、ぴと、ぴとん、と雫が大地を打つ。霤【あまだれ】とは違い、何やら明るい音色が響いた。
 極小の水晶は、一本の若木に吊し干しされた少年の衣と少女の制服からひっきりなしに生まれて、瞬時に弾ける。枝が細くなるにつれ次第に濃さを強める葉のそれぞれが、生き物としての輝きを放ち続けて居た。
 ――雨降って地固まる――いやはや、良い諺があったものだ。危うく文字通りの水掛け論にさえなりかけた、水を被りながらの小さな諍いと、其の残滓…そんな処か。
 犬夜叉は毎度の事ながら、全身ずぶ濡れになったにも関わらず、衣を脱いだだけの白の襦袢姿、一方のかごめは荷の底にたまたま残っていた制服に着替えた格好で、川際の緑陰に二人して並んで座りこんでいた。
 本日は目眩い程の晴天である。川の表面への照り返しはやはりきつくて、純粋に温度のみの問題かはともかく、此れ位が一番快いと感じた。
 ただ眼前の景色を見透かす様にして翠黛【すいたい】を眺め、間近の滴下音に耳を傾ける、犬夜叉とかごめ。落ちた沈黙はごく自然なものだったが、少ししてかごめが口を開いた。
 「もうすぐだよね、確か」
 「…何が」
 「新月よ」
 「んで、それがどうしたってんだ」
 「あのね」
 常時とは違い、かごめは妙に歯切れが悪く、さっぱり要領を得ない話し方をする。そこに気付いているのかいないのか、犬夜叉は何を今更、と言った風に返答した。
 話の先を促されて、かごめは手をもじもじと組み合わせては暫し逡巡【しゅんじゅん】する。が、間もなくこう切り出した。
 「…あのね。今度の朔の日、あたしが合宿から帰ってくる日なの。その日のうちに戻るのはちょっと無理なんだけど…。そのかわり、犬夜叉、家に来ない?」
 「おい、かごめ。言うに事欠いてお前、俺にわざわざ出向いて来いってのかよ?!」
 「だあって。」
 彼の思考では予想外の提案に、予想通り犬夜叉が言い募った。しかしかごめも、彼を言い伏せようと必死である。果てさてどちらの言い分が通るやら。
 「楓ばあちゃんの村だからそんなに危険はない筈だけど、犬夜叉、最近ろくに寝てないでしょ?こっちだったら、安心してゆっくり休めるんじゃないかと思って。あと、それと…」
 「それと、何だよ」
 再び押し黙ったかごめに、犬夜叉が苛付いた声で尋いた。すると、たちまちに彼女の顔は真っ赤に染まり、雑音に掻き消されそうな声量で返事がかえってくる。
 「そしたら、犬夜叉とちょっと早く、会えるじゃない?」
 「な゛」
 犬夜叉の顔に火が付いて、先に朱を帯びたかごめに負けず劣らず赤くなる。
 「…いいぜ、行ってやらあ」
 「ほんとっ?!じゃあ」
 数秒の間が生まれて、ぼそりと犬夜叉が呟いた。そしてかごめは花が綻ぶ様に微笑う――までは良かったのだが、やはり彼女の行動の先は読めない。あろうことか、かごめはこう、のたもうたのだ。
 「お祭り、一緒に行こうね」
 「…ちょっと待て。どうしてそうなるんだ?」
 「どうしてって…うちの神社でやるからよ」
 「あのなあ」
 無意識なのか確信犯なのか、ずれた返答をするかごめに、流石に脱力し、顳【こめかみ】を抑えた。彼としては反論する気力がないだけで、言いたい事や言うべき事は山ほどあるのだが、かごめはそんな事お構いなしである。
 「今ね、浴衣二着あるんだけど、どっちがいいと思う?桜の花と蝶の柄。」
 「…知るか」
 どうやら、うやむやの内に行く事にされて仕舞ったらしい。逆らっても無駄だと悟った犬夜叉は、溜め息と共に肩を落とした。
 にも関わらず、目を輝かせて他愛のない話をするかごめを見ていると、不思議と心が和む。安らいだ気分でかごめの雑談に付き合っていると、彼女の口からはまたも、犬夜叉の度肝を抜く発言が飛び出した。
 「でね、一着しか無いんだけど、犬夜叉のは紺絣【こんがすり】が綺麗なの」
 「…はあ?」
 完全に予想外の発言に、犬夜叉は暫し言葉を失った。代わりに怪訝な表情で見遣ると、赤色の衣なんて、見てるこっちは暑っ苦しくてたまんないのよ、そう言ってさも楽し気に微笑う。
 そのかごめの顔を軽く睨むと、二つの眼はまるで水の蒼を映したかの様な色彩をした、青玉【サファイア】に良く似て見えた。其のまま吸い込まれそうな錯覚を覚えた犬夜叉はかごめではなく、前の風景を見据えつつ態とらしい程乱暴に言い放つ。
 「言っとくけどな」
 不器用に加えて天邪鬼、けれど誰より真っ直ぐな少年と、柔らかい光りを一杯に湛えた瞳をして、ころころ表情を変えゆく少女の間を通り過ぎるは、ただ一陣の風。
 酷く馨【かぐわ】しい、夏色の匂いがした。
 「絶対着ねえぞ、俺は」
 「けちっ」







 人はふとした時、透明な全てが織りなす世界の中で、熱い空気に溶けた新しい何かを見付ける。
 夏は、若人達の季節――。