かごめの匂いを追ううち、犬夜叉は二人に行き当たる。
 「やられた、やっぱりあいつはあの『椿』だった!」
 「なんだって!?」
 退治屋は目を見開き、半妖を見上げた。
 「珊瑚、お前怪我してんじゃねえか」
 「大丈夫、それよりかごめちゃんは?」
 「おれがいない間に攫われちまったらしい。ご丁寧にかごめの血から作った依り代が置いてあったぜ」
  苦りきった口調で、犬夜叉。
 「そのやり口…まさしく『椿』のものですな」
 「とにかく、いそいでかごめちゃんを探さないと!」
 珊瑚はいち早く走り出そうとするが、思いのほか傷は深いようだった。立ち上がるどころか、ただ身じろぎするだけでも傷口から赤がしたたりおちる。
 「珊瑚、お前はここで待っていなさい」
  噛んで含めるように、法師が告げた。
 「いやだ、あたしも行く!」
 ほとんど悲鳴のようなその声に、犬夜叉が制止をかける。
 「その怪我じゃ走るのは無理だろうが」
 「今回ばかりは犬夜叉の意見に賛成ですよ。かごめ様は私たちにまかせて、お前は誰かに手当を頼みなさい」
 本当ならここにいてやりたいところだが、と弥勒の手は珊瑚に見えないところでぎり、と強く握りしめられている。
 ちいさく俯いて、珊瑚はきつく唇をかみしめる。
 (今のあたしじゃ、足手まといにしかならない――)
 「わかった、でもかごめちゃんに何かあったらただじゃおかないからね!」
 わかってらあ、と走り出す二人の背を見ながら、退治屋は肩当から傷薬を取り出した。








 「絶対許さねえ…」
 かごめの匂いを追いながらの弥勒の呟きを、犬夜叉の耳は確かに捉えた。
 「ああ!?何がだよ」
 「珊瑚に怪我を負わせたやつも、守りきれなかった俺自身もな!」
 かごめを拉致されたと気づいた瞬間から、完全に冷静さを欠いていた犬夜叉の頭がすっと冷える。
 腹立たしい思いから、短慮に出るわけにはいかない。何せ、天秤の片側に載せられているのは――おそらく、かごめの命だろうから。
 そうしてたどり着いたのは、城の地下にある水脈の入口だった。
 足元はわずかにしめり、水の気配がする。苔むした洞穴のようなそこには注連縄がはられ、美しく掃き清められていた。
 遠慮呵責なく法師と半妖はその場に飛び込み、そこに佇む三つの人影に瞠目する。 見覚えのある浅葱の髪、紅を刷いたくちびる。永遠の美を追い求めたはずの邪な巫女の半顔【はんがん】には、醜いうろこの文様が刻まれている。
 「黒巫女、椿!」
 椿が従えているのは、目を伏せたかごめ、そして棗の姿だった。ただし、棗の口許には、あの黒子はない。 けれど、そんなことは最早どうでもよかった。犬夜叉と弥勒の声が、怒涛の勢いで唱和する。








『てめえ、俺の嫁になにしやがる!』










 ――ふう、とため息をつきながら、椿はかごめに目をやる。
 「この三年と半年、ひどく長かったよ…。復讐のために傷を癒し、蛟と契約を交わして力をいや増したにも関わらず、かごめがこの地より姿を消したと知った時には、わたしはどれほど落胆したことか」
 お前が再び戻ってきてくれて、これほどうれしいことはないよ、とねちりとした口調で椿は続けた。
 傍らのかごめは答えない。巫女装束の袖を揺らめかせ、木のうろのような昏い瞳でその場に立ち尽くしている。
 「けれど犬夜叉、お前がかごめと懇【ねんご】ろになったと聞いたときは驚いた。二度もお前のために死んだ桔梗のことは、もう、いいのだねえ?」
 「やかましい!」
 かっと頭に血が上り、犬夜叉は椿に切りかかった。かごめは身を挺するようにしてその一撃から椿を庇う。 小さく落ちる、犬夜叉の舌打ち。
 「剣を引け、犬夜叉。そこの法師もだ。少しでも妙な真似をすれば、かごめの命はないものと思え」
 「なんだと?」
 「なに、大したことはない。今のかごめはわたしのかわいい操り人形。私が自害しろと命ずれば、躊躇うことなくそれに従うよ」
 くすくすくすと、囁くように椿は哂う。
 聞いてしまえば、迂闊なことはできない。ぎり…と犬夜叉は牙をかみしめる。
 「ならば、もう一つ聞きたい」
 弥勒が口を開いた。
 「夜な夜な城を歩き回る姫君、あれはいったい誰なのだ?さきほど棗さまの寝所に参った折、あの黒子は眉墨か何かで描かれたものだったが…」
 「おや、そこまで気づいたか」
 心底楽しげに、椿の瞳が淀んだ輝きを増した。
 「たしかにあれは棗ではない。しかし誰よりもあれに近い存在とだけ言っておこう」
 あとは高明【たかあきら】にでも聞くがいい、と言い捨て、椿はするすると地下水脈の奥へ消える。
 「かごめを取り戻し、棗の目を治したいのならば、明日の晩、聖地へ来るといい。わたしとしても、法師と半妖の人形【ひとかた】は欲しいところだからな…」
 ぬるんだ風、遠く白む朝のにおい。
 茫然と立ち尽くす犬夜叉と弥勒の耳に、哄笑が響いた。